コラム
映画「評決のとき」
先日,マシュー・マコノヒー主演「評決のとき」(1996,原題:Time to Kill)を見ました。
マシュー・マコノヒーが刑事弁護人を演じた映画です。
簡単にあらすじを説明すると,
ある黒人の女の子(10才)が差別主義者の白人男性2名に強姦をされる。
その女の子の父親が復讐のために白人男性2人を殺害する。
主人公の弁護士が,父親の弁護人となり,弁護をする。
というものです。
物語終盤の弁論がすばらしいとの評判を聞いたので映画を見てみることにしました。
個人的な感想としては,確かに弁論は感動的なのですが,どちらかというと弁論ではなく,優れた冒頭陳述だと思いました。
主人公は弁論において,ある物語を語るのですが,その物語は裁判の終盤の弁論で語るべきものではなく,裁判の最初に行われる冒頭陳述で語ってこそ効果があったのではないかと思いました。
弁論では,実質,ストーリーしか語られないため,なぜそのような評議の結果になるべきなのかの主張も分かりづらくなっていました。
ただ,この映画を見て,深く考えさせられたのは,刑事弁護人としての心構えです。
物語の中盤,主人公は,黒人を弁護しているという理由で,差別主義の白人たち(KKK)から酷い妨害を受けます。
たとえば,主人公の家が放火されたり,主人公の事務所の事務局の女性の家族が襲われたりです。
主人公は,そのような状況下でも,諦めずに被告人の弁護を行います。
その姿勢は,とても感動的ですし,弁護士である以上持たなくてはならない覚悟だと思いました。
何はともあれ,とても面白い映画でしたので,ぜひご覧ください。
弁護士 永里桂太郎